SDGsにいたる歴史

SDGs (持続可能な開発目標)は2015年9月に国連で採択された、2016年〜2030年までに達成すべき17のゴールと169のターゲットで構成されています。

専門家や詳しい人であれば、2015年の採択、それ以前からその存在を知り、動向を追っているかもしれません。

しかし、一般の人にとっては、2017年に急激に広まり、いきなり「企業でも取り組みましょう」と突きつけられているように感じるかもしれません。もちろん、まだ詳しくご存知ではない方も多くいらっしゃると思います。

SDGsの内容を見ると、実は特段目新しい項目はありません。(もちろん具体的数値など新たにされたことはありますが、多くが以前から問題だと認識されてきたことばかりです)

SDGsが私たちの世界に必要なことはなんとなく分かるけれど、それって開発途上国の問題じゃないの?先進国である私たちにどう関係するの?という観点を、歴史を振り返りながら模索したいと思います。

SDGsの前身にMDGs(Millennium development Goals:ミレニアム開発目標)というものが存在していました。その違いは後ほど詳しくみていきますが、MDGsは2000年〜2015年までの開発目標を設定したものです。MDGsの達成状況は概して悪くはないものの、いわゆる脆弱国と言われる国々での達成状況がよくありませんでした。

そして開発目標という観点で言えば、さらに過去からの流れがあります。

1960年『国連開発の10年』

1960年に採択された『国連開発の10年』は、発展途上国の経済成長が開発援助の重要な目的でした。
具体的には、開発途上国の経済成長率を年率5%に引き上げる、といったものです。

援助方法としては「生産活動に必要となる電源開発や道路整備による輸送網の確立といったインフラ整備が中心」であり、「日本や観光、NIEsといった特にアジアの基礎教育が進んだ国の発展に貢献したとも考えられる」(*1)

しかし、そこで、開発によって発展途上国全体の経済が成長することでいずれその成長の恩恵が貧困層にも届くだろう、という思惑での援助には限界があるという見方が出てきました。

1970年『第二次国連開発の10年』

続いて1970年には『第二次国連開発の10年』が採択されました。今回の目標は、発展途上国の経済成長を6%に引き上げ、さらに一人あたりの経済成長率にも注目し、それを3.5%に引き上げる、というものです。

具体的には、1975年までにODA(政府開発援助)を先進国のGNP比で0.7%まで引き上げ、途上国に不足する資金を先進国で賄おうとするものでした。

しかし、ODAとしたことで、資金の出し手としても受け手としても、旧社会主義国が除外されることになってしまいました。

時代背景としては、冷戦下の政治的緊張が緩和したことで、主要通貨が変動相場へ移行したり、国際的な資本移動が活性化したことがあります。その他にも、オイルショックが起こったり、公害問題の発生が問題となりました。そのことから、「持続可能な成長」や「環境と適合する成長」に意識が向けられるようになりました。

1980年『第三次国連開発の10年』

1980年『第三次国連開発の10年』では、さらに1%ずつ引き上げ、発展途上国の経済成長率を7%、一人あたりの経済成長率も4.5%を目標としました。

しかし「多くの途上国で公的セクターの肥大化や、恒常的な財政赤字やインフレ、輸入代替工場化政策や一次産品価格安定化の失敗、過剰な規制、政府介入に伴う腐敗などが起こったことへの批判と反省」から、「それまでの政府主導の介入的な開発政策に強い揺り戻しが起こり、新古典的な構造調整政策が大きな流れ」(*2)となりました。

1990年『第四次国連開発の10年』

1990年『第四次国連開発の10年』において、目標としては、引き続き発展途上国の経済成長率を7%へ引き上げることですが、ここで初めて、開発援助の目的に国際社会の平和と安定が挙げられました。そして「これまでの開発目的の主体が国際社会(the international community)であったのに対し、はじめて発展途上国の責任が明記」(*3)されました。

背景としては、1991年に旧ソ連の崩壊とそれに伴う冷戦構造が解消されることによって、冷戦下には語られなかった途上国の民主化にも意識が向くなど、ここから、各国それぞれの思惑を超えて、地球全体へも意識が向く流れになっていきます。

1995年世界社会開発サミットにおけるコペンハーゲン宣言では、初等教育の普及や、乳児死亡率、妊産婦死亡率、自動の栄養失調の改善について言及されました。

1996年OECD/DACが「21世紀を形作る、開発協力の貢献」を発表。ここで国際開発目標(IDT)が提起され、ここでも貧困半減、初等教育の完全普及などが定められ、複数の国際会議にて支持を受けました。MDGsの原型とも言えます。

2000年MDGs (Millennium development Goals:ミレニアム開発目標)

それらの流れを受けて、2000年9月、MDGsが採択されます。147の国家元首を含む、189カ国の加盟国がこれを支持しました。MDGsの特徴としては、経済発展に関する目標が削減された一方で、広範な目標にターゲットが設定されました。

MDGsの達成状況は概して悪くはないものの、いわゆる脆弱国と言われる国々での達成状況がよくありませんでした。

加えて、ちょうどその時期、グローバルな問題として気候変動が深刻化し、国際社会の中での様々なフォーラムの中で重複して議論されていたことから、SDGsはそれらをすべて集約したもの、とも言えます。

MDGsとSDGsの違いについては、別記事にて。

 

*1〜3)『持続可能な開発目標(SDGs)と開発資金』より引用

(参考文献)
『持続可能な開発目標(SDGs)と開発資金』浜名 弘明 著(文眞堂)
『そうだったのか。SDGs』一般社団法人SDGs市民社会ネットワーク

 

 

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