成功への道は、自らの手で未来をつくることによってのみ開ける

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変化を予期し、変化に対応していったとしても、生き延びることはできない。

そもそも変化とは、予期できないものである。 成功への道は、自らの手で未来をつくることによってのみ開ける。

もちろん、自らがもたらすべき変化といえども、現実に沿ったものでなければならない。

だが、新しい現実という制約のもとにあっても、未来は生み出せる。つくり出せる。

(『明日を支配するもの』P.F.ドラッカー)

 

世界を「変える」から、世界を「つくる」へ

これまでは、いかに世界を変えるのか、変革をもたらすのか、ということが注目されてきました。

世界を変えるには、どうしたらいいのか?
国を変えるには?
地域を変えるには?
会社を変えるには?
自分を変えるには・・?

規模はどうであれ、変化をもたらすことに意識が向けられてきたように思います。

そこで思うのです。

「様々な変化が、あらゆる場所で起こり、
その影響を少なからず受けざるを得なくなっている今、
世界を変えるだけで、様々な事象に対応することができるのだろうか?」

変化の波は、世界のどこからやってくるか分かりません。どこかの森林が伐採されることで、地球全体の環境が変わってきています。経済活動においても、どこかの国の経営破綻は日本としても、まったく微塵も影響を受けないということはありません。

「変える」ということは、どこか受動的な部分があるようにも感じます。

私たちが、今、これから取り組むべきことは、新しい世界を「つくる」ということではないでしょうか。

新しい国家をつくるとか、思想をつくるとか、そういう怪しい話ではなく、新しい概念をつくる、新しい価値観をつくる。

そうやって能動的に、世界、つまり私たちの周りに関わり、こちらから変化をもたらしていく。

そうしないと、世界の変化に対応しているだけでは、限界がきていると思うのです。

正解を探して、右往左往し、迷い、正解を、私たちでつくる時代なのではないでしょうか。

何のために人生をつかうのか?

では、どんな世界をつくりたいのか?
私がつくりたいのは、言葉にしてしまえば、ものすごく、当たり前の世界です。

それは・・・

平和で、安心安全という基盤の上に、
一人ひとりが、それぞれにとっての、幸せや喜びを感じ、
心身の健康の上で、
周りの人とつながりを持ち、関わり合う中で、
人生を望むかたちで実現し、
死ぬときに「満足のいく人生だった」と思えること。

でも、今、この世界には、
紛争によって、安心安全に生きることが脅かされている人もいます。
学校に行けなくて、望む未来の実現を諦めざるを得ない人もいます。
適切な食事をとることが出来ない人もいます。

過去の戦争の残骸で、身体を不自由にする人も、心に傷を負って、苦しむ人もいます。

平和の中にも、精神的に苦しみ、命を絶つ人もいます。
人との関わりの中で、苦しみを抱える人もいます。

当たり前を、当たり前に手に入れることのできない世界があります。

でも、私が、たったひとりの力で、人生80年生きられたとして、残りの人生でそれらすべての人の当たり前を手に入れることができるのか、手に入れるような世界をつくることができるのか。

それは、絶対に、100%無理です。

しかし、そのことと、私には問題に対して対応する力がないのか、よりよい世界をつくるための力を持ち合わせていないか、というと、それは別の問題です。

バタフライ・エフェクト

「バタフライ・エフェクト(butterfly effect)」 という言葉をご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

直訳すると 「バタフライ=蝶」「 エフェクト=効果 」 ということなのですが、 もともとは気象学者である エドワード・ローレンツが講演の題名として 『ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか』 と提唱したことから来ています。

力学系の状態にわずかな変化を与えると、 そのわずかな変化が無かった場合とは、 その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象 ということですが、 平たく言えば、ほんの些細な事が、 徐々にとんでもなく大きな現象の引き金に繋がるかどうか、 つまり、 どんなに初期の誤差が小さくとも 時間経過や組み合わせによって大きな影響が現れ、 どんな未来が訪れるかは誰にも予測できない とも言い換えられるでしょう。

『風が吹けば桶屋が儲かる』ということわざ のほうが馴染みがあるかもしれません。

今、私たちが生きているこの世界では、 世界で起きている事柄が、 すぐに私たちの生活につながってきます。

例えば、他国で起こったテロの問題にしても、 今までに増して、日本でいつ起こってもおかしくないと言われる。 食料だって、ガソリンなどにしても、 他国から輸入をしている今、 他国の気候変動や情勢が変われば それは価格高騰につながったり、 私たちの生活にも影響を及ぼします。 とすると、それは、逆もしかりだと思うのです。

つまり、私たちの行動ひとつが、 世界に影響を及ぼすことができるということではないでしょうか。

例えば、私たちは消費者として、 企業が作った商品に対して、 宣伝広告に影響を与えられて CMを見て「欲しい!」という気持ちを 掻き立てられたりするわけですが、 でも、その商品も、 消費者がまったく買わなければ、 イコール売れないということで 企業だって作り続けることはしないわけです。

私たちが何を「選択」するのか?

一人ひとりの行動としては とってもささやかなものかもしれません。 でも、 ささやかなものでも、積み重なれば それは大きなうねりとなって、 異なる結果をもらたらすことができる。

それは、まさに バタフライ・エフェクト なのではないでしょうか。

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