『自己犠牲』から『楽しみ』へ

うたのおにいさんとして人気だった横山だいすけさんの「あたしおかあさんだから」という歌の歌詞が物議を醸している。

「母親の自己犠牲を賛美し、特定の母親像を押し付けている」という世間の論調とともに、作詞をした絵本作家のぶみさんの意見としては、決して我慢を強いるつもりはなかった、というのが主張とのこと。

大変中途半端な意見だけれど、私自身はどちらの気持ちもよく分かるなぁと思う。

「我慢を強いる」という気持ちもよく分かる。その意見の立場に立てば、本当はやりたいと思っていることも、お母さんだからと諦めなければいけない苦しさがあるのだと思う。

お母さんなのだから、諦めるのが普通ですよ、我慢するのが普通ですよ。みんなそうしていますよ。という歌詞にも読める。

実際に、私が我慢をしていたら、そして、我慢をしていることに苦しさを感じていたら、きっと怒っていただろう。

 

そして、作詞をされた方の意見も、私は分かる気がする。

ものすごく、歌詞をポジティブに読むとしたときに、昔は自分にとってとても大事だと思っていたことが、母親になることで今は優先順位が下がっている気持ちや、自分のことはさておいても子どもを優先できる、優先したいと思う喜び、ということがあると表現しているのではないかと感じる。

友人の中にも、独身のときにはどれだけでも自分を着飾ることを大切にしていた人が、子どもが生まれた途端、人が変わったように、子どもを優先し、かつ、それをとってもとっても嬉しそうに、幸せそうにしている人もいるから。結局、やりたいこと自体が変化している、ということなんだと思う。

世の中の反響を一歩引いて見たときに、

どれだけの人が、日常的に「我慢」をしていて、それが限界ギリギリで、どれだけ「自己犠牲」をしているのかということが現れているのではないかと思う。

すでに頑張っている人に、もっと頑張れということはできないように、みんなすごく頑張っていて、ギリギリなんだろう。

 

ここでは、そのどちらが正しいか、ということを結論づけたいわけではない。この両方の意見は、ある意味「社会貢献」と「個人」としたときにも起こりがちなことだと思ったのだ。

それは「自分の利益ではなく他人の利益を優先する」とか「利他の精神」とか、そういうことにも通ずる。

 

他者に利益をもたらすためには、”自己犠牲”は必要ない

『GIVE&TAKE「与える人」こそ成功する時代』(三笠書房)という本の中で

    • ギバー:人に惜しみなく与える人
    • テイカー:真っ先に自分の利益を優先させる人
    • マッチャー:損得のバランスを考える人

という定義がある。詳しい内容は本を確認いただくとして、その中に

「他者に利益をもたらすためには、”自己犠牲”は必要ない」

というフレーズがある。これが、これからの世の中、とってもとっても大切な考え方だと思うのだ。

「『自己犠牲』から『楽しみ』へ」(p275)では、「心理学者のネッタ・ウェインスタインとリチャード・ライアンは、与えることによって気力が回復するのは、義務感からするのではなく、楽しく有意義だと感じる場合にかぎることを証明した」とある。

人助けをした日のほうが、してない日に比べて幸福度が低いときもあり、その幸福度に影響をあたえるのは、結局、人助けを行ったかどうかではなく、人助けをする「理由」だ、というのである。

つまり、”意義”がポイントであり、自分にとって意義のあることをする、自分が楽しめることをすることで、ギバーは他人だけではなく、自分にも与えることができる、ということなのだ。

誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさはおかしいのと同様に、私の犠牲の上に成り立つ豊かさもまた、おかしいのだと思う。

 

私も、あなたも豊かに。もちろん、動物も植物も

SDGsの前文には「このアジェンダは人間、地球及び繁栄のための行動計画である」というフレーズがある。

私も豊かに、あなたも豊かに、社会も、地球も豊かに。

SDGsが目指している2030年は、そういう新しいステージなのだ。

 

「全部が豊かになるなんて、あり得ない」その通りだと思う。

だとしたら、考えるべきことは「豊かさ」とはなんなのか?「豊かな状態」とは何を指すのか?という定義なのではないだろうか?

独身の頃に、これが私にとって「幸せ」なんだと思うことと、家庭を持ったり、パートナーとともに暮らす中で「幸せ」と感じること、年をとって「幸せ」だと感じることは、人によっても、人生のステージによっても変化していく。

そして豊かさも同様に、世間一般の「豊かさ」でも、杓子定規な「豊かさ」でもない、一人ひとりが定義づける「豊かさ」を今一度、考えることが大切なんじゃないだろうか。

あるのが当たり前、というところから、別になくなっても困らなくない?というものは、私自身の周りにたくさんあふれているように思う。一方、仕事に必要なもの、生活や健康に必要なもの、心から楽しめる娯楽は、我慢する必要もないし犠牲にする必要もない。

過去に、1ヶ月海外へ旅行に行ったとき、結局スーツケース1個でまったく不自由しなかったし、むしろ、そのスーツケースの中にも使わなかったものもあった。スーツケース1個で十分生きていけるんだな、と思った。

なくなっても困らないものを、必要な人に譲るなどして適切に手放すことから、少しずつチャレンジしていくのも、私にできる一歩だと思う。

 

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