SDGsは開発途上国だけの問題か

ある県でSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)を盛り込んだ計画を発表したところ、ある市長が、SDGsの理念は飢餓があるような国が目指すものであって、日本のような先進国には必要ない。振り回されると迷惑、という旨の発言をしたという記事があった。(*1)

市長の発言の背景を勝手に想像し、共感する部分を挙げるとすれば、確かに、各企業や自治体がSDGsは取り組むべき課題として関心を高めている中で「組み込まなければ」という感覚を感じることはある。それだけ、みなが模索状態ということでもある。

きっと「なぜSDGsが存在するのか?」「なぜSDGsに取り組まなければいけないのか」ということが理解できていけなれば、そのような感情を持つものだろうと想像する。

しかし、果たして本当に、SDGsは開発途上国だけのテーマなんだろうか?

SDGsは開発途上国のテーマか?

SDGsカードゲームを体験くださった方、そして、少なくともSDGsで掲げられている17のゴールとその下に付随する169のターゲットを見たことがある方にとっては「先進国の問題でもあるよね」と思うだろう。

例えば「ゴール7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに」「8.働きがいも 経済成長も」「12.つくる責任 つかう責任」といったものだ。

また一方で、「ゴール13.気候変動に具体的な対策を」「ゴール14.海の豊かさを守ろう」「ゴール15.陸の豊かさも守ろう」といったような、地球全体を見る、包括的なゴールも並んでいる。

SDGsの歴史

ここで、SDGsの成り立ちの歴史を振り返ってみたい。SDGsの前身はMDGs(Millennium Development Goals:ミレニアム開発目標)というものだった。MDGsは2000年〜2015年までに達成すべきゴールとして、確かに、開発途上国のテーマが多く、今回のゴール1やゴール2に表されているような、貧困や飢餓といったものが8つ並んでいた。

そもそも、国連の定める開発目標は1960年から「国連開発の10年」としてスタートしている。1990年まで10年ごとに、開発目標を設定し、ときに先進国主導になりすぎたことを反省し、ときに達成しながら、常に掲げられてきている。

そして2000年からMDGsを15年間掲げ、そして、気候変動に関する取り組みや国際会議が活発になることが相まって、地球全体として、持続可能性を追求しなければ、そもそも地球が限界を迎えては、発展も何もないのではないか、と考えられた結果、上記に挙げられたような、先進国の取り組みや地球全体が対象となるゴールが設定されている。

現実世界として、中国の大気汚染の影響が日本にも起こっている。日本の原発問題にしても、海流に乗って太平洋の向こう側まで届いている。海や大気には国境はない。

意訳はだめなのか?

また「(SDGsを)曲解しすぎ、利用しすぎ」との発言もあったそうだ。果たしてそうなのか?

例えばゴール1「貧困をなくそう」というものがある。ゴール1に付随するターゲットをひとつ見てみよう。

1.1 2030年までに、現在1日1.25ドル未満で生活する人々と定義されている極度の貧困をあらゆる場所で終わらせる。

 

確かに、こちらはパッと見たところ、開発途上国のテーマであるように感じる。私は貧困の専門家ではないので詳しくは知らないけれど、日本の中で「1日1.25ドル未満で生活する人々」というのは少ないように思う。

しかし、次のようなターゲットがある。

1.2 2030年までに、各国定義によるあらゆる次元の貧困状態にある、全ての年齢の男性、女性、子どもの割合を半減させる。

 

先の「1日1.25ドル未満で生活する人々」から、ここでは「各国定義によるあらゆる次元の貧困状態」とある。これは、その国で平均的な生活レベルよりも著しく低い人が当てはまる。つまり「相対的貧困」と呼ばれるものだ。日本政府はこのレベルを、世帯の可処分所得(収入から税金・社会保険料等を除いたいわゆる手取り収入)などをもとに、子どもを含めて家族一人一人の所得を仮に計算し、順番に並べた時、真ん中の人の額の半額(貧困線)に満たない人が当てはまるとしている。

厚生労働省が2016年に発表した、2015年時点の相対的貧困率は15.6%、子どもの貧困率は13.9%、ひとり親世帯は50.8%で、どれも先進国の中で最悪レベルとのこと。(*2)

この現状は当てはまらないのか?そして、その解釈は意訳だろうか。

まとめ

確かに、先に述べたように「流行りだから」といった理由で取り組むことを強要されては、されるほうとしてはたまったものではない。しかし、SDGsは本当に、真新しい、流行りものなのだろうか。

SDGsとして17のゴールにまとめられ、国連で採択されたのは2015年9月。そして、2016年から取り組もうとされたゴールだ。でも、ひとつひとつのゴールを見ていくと、まったく真新しいゴールが掲げられているわけでもなく、当たり前とも感じられるゴールが並んでいると思われるのではないだろうか。それはSDGsの成り立ちを見ると、これまで言われてきたことがまとめられているに過ぎない。

とすると、これまで社会課題だとして、何かしら目にし、耳にしてきた項目が挙がっているにすぎない。取り組まなくてもいいことなんて、ひとつもないはずだ。

きっと、今、最も必要なことは、

  • なぜ、それらがあえて17のゴールとして列挙されているのか。
  • なぜ国連が定めたものが、国単位で取り組むべきことが列挙されているようにも感じられるものが、企業や自治体にとっても取り組むべきことなのか。
  • なぜ、SDGsが必要なのか。
  • 私たちの生活と、私たちの仕事と、SDGsがどう絡んでくるのか。

そういうことを、自分の中で、それぞれが体感したり、納得することが第一歩なのだろう。

そういった意味で、カードゲームは、本当に楽しみながらできるし、普段は関心のない人、意識が高いことに対して斜に構えるような人でも「勝手に夢中になって、勝手に気づける」ツールなのでオススメだと心から思う。

(脚注)
*1:『SDGs「先進国には迷惑だ」 東近江市長、県の看板施策批判 /滋賀』(毎日新聞)
*2:平成28年 国民生活基礎調査の概況「各種世帯の所得等の状況」 (厚生労働省)

(参考文献)
『持続可能な開発目標(SDGs)と開発資金 開発援助レジームの変容の中で』 浜名 弘明(著)文眞堂

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