SDGsは個人に関係がないのか?

SDGsの本質を、簡単に学べるカードゲーム『2030SDGs』というのがある。

SDGsって、知れば知るほど、国連で採択されたってだけで、誤解が多いんじゃないかと思う。

「私個人には関係がない」とか「中国が…アメリカが…国として…」とか国単位の話をしたり。

( ちなみにSDGsは、貧困や飢餓、経済成長から気候変動まで、17のゴールと、そのゴールそれぞれ下に169のターゲットという達成目標が掲げられている)

 

SDGsは新しいものではない

そもそも、SDGsって流行り言葉になっているけど、内容や概念って何も新しくないと感じる。そりゃ数値目標とか、新たに設定されたものや、言語化されたものはあるけれど、ひとつひとつ言っていることは「そんなことを目指すんだ!」なんて、目新しく意外なものはなくて、そりゃ大切だよね、前からそう言っていたよね、と思えること。

 

遡っていけば、SDGsの前にはMDGs(Millennium Development Goals)があったし、もっともっと、遡れば1960年に国連で合意された「国連開発の10年」からスタートしている。

そこから10年毎に、そのときの情勢や関心事、失敗などを踏まえて改められて、そして、環境問題に関心が高まった他の会議などで議論されていたものがひとつにまとめられて、SDGsに至る。

 

国「だけ」が取り組むべきことなのか?

そりゃ国連で採択されているから、例えば「飢餓をゼロ」にとかゴールは壮大だし、「2030年までに、飢餓を撲滅」というターゲットも個人で達成できるわけがない。

でも、それと個人にやることがないっていうのは違うと思う。国だって、解体していけば、最小単位は人なんだから。

国が対応していないから悪い、とか、国がやらないから自分にはやれることはない、というのは、また違った話で、それは自分の力を放棄しているし、自分のことを過小評価していると思う。

 

 

つながり=見えないものに思いを馳せること

先日、枝廣淳子さんのお話をお伺いする機会があった。枝廣さんは、アメリカの元副大統領アル・ゴアさんの著書『不都合な真実』を翻訳された方で、ご自身ももちろん、環境に関心があり、第一人者。

その枝廣さんが、こうおっしゃった。

「つながりとは、見えないものに思いを馳せることなんです」

 

枝廣さんはトイレットペーパーを例に出し、私たちは毎日トイレットペーパーをつかうけれど、これがどこから来て、流した後、どこへ行くのかを知らない。とおっしゃった。

確かに、例えば断捨離と言って、家からどんどんモノを捨てよう!という風潮は一昔前に大流行した。(今もそれは続いていると思うけれど)私たちは捨てたら、目の前から自分にとって不要なものが存在しなくなったら、見えなくなったら、地球からそれが消えてなくなるんだと思っているフシがないだろうか。

私は、ゴミ問題には明るくないけれど、焼却しきれいないゴミの存在や、埋め立ての問題を聞いたことはある。私は関係ないと思っていたけれど、仕方がないと思っていたけれど、毎週ゴミの日には必ずゴミを捨てる。ということは、それが巡り巡って、ゴミ問題に私も関与しているのでは。だからこそ、ミニマリストとかいう、モノを最小限で済ませようという風潮が今、起こっているんだろう。

 

ちょっと話がズレたけれど、私は、結局目に見えるものだけを見て、見えない部分に思いを馳せていない、ということにハッとした。

ちなみに、見えないものを「想像する」ではなくて「思いを馳せる」というところが、素敵だな、と個人的に感じた。

 

ブラジルの蝶の羽ばたきは、テキサスでトルネードを巻き起こすか 

 ある気象学者がこんな問いを発した。

「ブラジルの蝶の羽ばたきは、テキサスでトルネードを巻き起こすか」

 

簡単に言ってしまえば、動体力学的に、ある場所で起こったささやかな変化が、巡り巡って、まったく違う場所で、思いがけない事象を引き起こすのか、ということを問うたもので、議論を巻き起こした。

そんな馬鹿な、と思うかもしれないけれど、最初は小さな事象だったのに、いろんなところを転々とするうちに大事(おおごと)になったり、例えば、小さな噂が全然違う事実のように語られていたり、誰しも体験があるんじゃないだろうか。

そういえば、昔、ある信用金庫が潰れる、という噂がたって、本当に潰れそうになった、ということがあったような。正確なところはわからないけれど、もとは単なる立ち話を聞き間違った人から始まった「◯◯信用金庫って危ないらしいよ」というところから、それなら潰れる前に預金を引き出しておかなきゃ!と思った人たちが殺到した…というもの。

 

結局、小さな働きかけから始まる

大きなことを起こすには、まずは小さな一歩から。

そんな意味を表すことわざや偉人の言葉はたっくさんある。

 

私たちはひとりひとり、きっと、自分が思っている以上に周りに影響を与えているし、周りから影響を与えられている。

 

きっと、自分が思っている以上に影響を与えられる存在だし、私の行動ひとつで、大きなことを巻き起こすなんて、実は簡単なのかもしれない。

それを継続することと、想い続けることが難しいと感じることがあるだけで。

 

SDGsの17のゴール、貧困でも、飢餓でも、教育でも、働きがいでも、ジェンダーでも、海の豊かさでも、どの項目だって、自分が関われること、雀の涙かもしれない、影響が与えられているのかもどうかも分からないことが、巡り巡って、持続可能な地球、そして人間の繁栄につながる。

それが、SDGsの本質だと思う。

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