映画『ザ・トゥルー・コスト ~ファストファッション 真の代償~』を観て

映画『ザ・トゥルー・コスト ~ファストファッション 真の代償~

観終わった後に、一番に思ったことは「私はモノの値段を正当に判断することができているのだろうか」ということだ。

Tシャツ1枚◎円ならお得。その判断は本当に正しいのだろうか?正当なのだろうか?そして、洋服に限らず、日用品においても。

ファッション業界の裏側、闇を知らしめるために、縫製から綿花を栽培する農家までテーマに挙がっていた。私は、洋服を見るときに、綿花のプロセスまで意識していただろうか?

例えば、Tシャツが1枚980円で売られていたら、その裏にあるものまで見えていただろうか?

綿花の育つプロセス、つまり、農家の人が種を買って、植え、種を植えたらすぐに成長するわけではないから、水をやり、手間をかけるコスト。そして収穫をして、綿花から糸になり、布になる。洗浄したり、染色したり、もちろん、すべて1箇所でやっているわけではないから、輸送コストもかかる。デザインしたり、プリントしたり、カットして、縫製をして、商品になる。

そんなのって980円って本当に正当なんだろうか?ありえるんだろうか。

人々が貧しいままでいることで得をしている人がいる

バングラデシュは輸出の4分の3を縫製が占めている。中国に次いで、世界第2位の輸出量だ。

SDGsカードゲーム体験でもお話をしている、バングラデシュで起こった事故を覚えている方もいるかもしれない。

バングラデシュの首都ダッカの近郊で、縫製工場が入る建物が崩壊し、1100人以上が亡くなった。建物はもともと商業施設だったが、工場として規模を拡大する中で違法建築で建て増しし、結果、重さや機械の振動に耐えきれずに崩壊した。

従業員たちは、亀裂に気づいていて、経営陣にもその旨は伝えていたらしい。その上で、戻ることを強要され(きっと、戻らなければクビだ、とか言われたのだろうと容易に想像がつく)そして崩れた。

数ヶ月前には、他の工場で火災が起こり、そこでも100人以上が亡くなっていたそうだ。

被害にあったのは、日当2ドルとか3ドルの、主に女性の労働者たち。子どもも含まれる。

中には、やっぱりこの待遇はおかしいと、労働組合を作ろうとした女性もいたけれど、話し合いにすらならず、暴行されて終わったらしい。

カンボジアでも、労働者たちが賃金や待遇の改善を求めてデモを起こし、警察ともみ合いになり、死者も出た。彼女たちは「無理なことは要求していない。ただ、最低賃金がほしいだけ」と涙を見せる。

自国民が苦しもうとも、国としての売上が第一

国としても、政府は賃金を低くとどめ、労働法の取締を行わないようにする。

なぜなら他の低コストの国へと移転するという脅しを受ければ、自国の輸出産業を手放すことが出来ないから。

そして、主要ブランドは従業員を正式に雇用せず、生産する工場を所有していない。多くの利益を生みながら、低賃金による貧困や工場の事故、絶え間なく続く従業員のひどい処遇という責任から逃れることができる

利益のために正当化する人たち

経済システムを研究する人や、アパレル企業の元調達部門の責任者が言うには

  • 労働者は自分の意志でそれを選択しているから問題ない
  • アメリカ人にとっては劣悪な環境かもしれない。でも仕事を与えているのだから許される
  • 他にももっと危険な仕事はたくさんある。ファッションは安全だ
  • 搾取ではない。技術移転や雇用の創出をしている

もっともらしいけれど、果たして本当だろうか。

結局、売れれば売れるほど、私たちが買えば買うほど、儲けているのはアパレル企業の、それも経営陣だけ。

何かと比較して「もっと下がある。だからまともなはず」という思考自体に、正直違和感を感じる。きっと自分自身がそう言われても、納得はできないはず。

きっと多くの人が、もっと稼ぎたい。もっと楽に生きたい。という望みを持っている。上記の論法でいけば、世の中にはもっとしんどい人はいるんだからマシでしょ。と言われているのと同じだと思うのだけれど。

善意が産業を潰す

「洋服は必ず寄付をしているから」という人もいるかもしれない。だからどれだけ自分が買ってもいいだろう、と。

寄付された後の実態にも触れられていた。洋服を寄付されても、古着屋で売れるのは10%。残りは途上国に送られて、巨大なブロックのようにパッキングされて開封されてもいない衣類がゴロゴロしていた。

その寄付された洋服のせいで、ハイチでは地元の服飾産業が消えてしまった。タダで手に入れられるのに、誰がわざわざ洋服を買うのか。

そして、ハイチの服飾産業は、今やアメリカへの輸出品をつくっている。

結局、仕事があるんだったらいいんじゃないか、という声も聞こえてきそうだけれど、もともと地元の縫製の技術があり、伝統があり、そんなところに外国向けの単一的な縫製を請け負うことへの変化が、本当にいいことなのだろうか?

その変化は必要なかったのでは?

消費者から顧客へ

「ファッションは消耗品ではない」こと、そして「消費」が問題なんだと気づくことが、まずは第一歩であり、その消費行動をいかに私たちが変えるのか、私個人が変えるのか、ということに結論づく。

パタゴニアの経営層の方が「消費者ではなく顧客と呼ぶ」ことへのこだわりを語っていたが、そこには、自社の商品を「消費」する人たちを相手にするのではなく、意識をもって選択をしてくれる相手に商品を届けているということなんだろうと感じた。

私たち自身もまた、自分たちを消費する存在として認識するのではなく、企業を選定する顧客として、もっと企業に対して影響力があることを認識してもいいのではないだろうか。

問題を解決するのではなく、システムを変える

自分にとって手の負えない、大きな問題を目の前にすると、誰しも無力感を覚える。「私にはどうしようもない」「私にはできることはない」と。

上記、「利益を正当化する人たち」でも紹介されていたけれど、決して個人が批判されるものではないんだろうな、と思う。

彼らが心底そう思っていることに怖さも感じるけれど、だけれどそれは、個人だけが生み出した価値観や考えではないはず。

経済学者の方もまた、これまでの経済システムを見直し、改善することの必要性を説いていた。

教育システムなど様々なシステムは、うまくいっていない部分を指摘し、変容を遂げてきたけれど、経済システムに関しては、誰も指摘をしていきていないし、変化してきていない、と。

その他メモ

ファッション業界について

  • 世界で6人に1人がファッションに関わる仕事(製造含めて)最も労働者に依存する業界のひとつ
  • 石油産業に次いで2番めに地球を汚染している

綿花について

  • 過去16年間でインドでは農業従事者が25万人以上自殺(30分に1人の割合)
  • 理由は、害虫に強い遺伝子組み換えの種や、それに適応する農薬を無限ループ的に購入しなければならず、負債が重なり、土地を没収される
  • 遺伝子組み換えの種も、農薬も、同じ企業が売っている。儲かっているところは同じ

 

 

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